主君の無念を晴らしたと称賛される

赤穂義士四十七士の討ち入りには、

多くの謎が残っているのですが、

最大の謎は、浅野内匠頭は、

なぜ殿中である松の廊下で刃傷に及んだのかなのです。

 

現代と違って江戸幕府は記者会見や情報公開などするはずもなく

伝わっている「松の廊下」の内容は

完全にフィクションだと考えるのが妥当でしょう。

 

 

忠臣蔵では

四十七士の討ち入りばかりが注目されていますが、

内匠頭が刃傷におよぶことがなければ

赤穂藩は取りつぶしとなることも

多くの藩士が死に旅立つこともなかったのですから。

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謎が深い理由は、浅野内匠頭は即日切腹が申し付けられたこと。

 

吉良上野介は事件後すぐに隠居。

もちろん事件について何も語ることなく

二年後四十七士に討ち取られてしまうからです。

当事者双方の気持ちは何も明かされることなく

事件は、討ち入りへと向かっていくのでした。

 

内匠頭は7歳で藩主となったため

「こらえ性」がなかったという見解もありますが、

管理人はそうは考えていません。

 

逆に幼い頃に藩主となったために

責任感が強かったのではないでしょうか。

もちろん、大名としてのプライドも高かったと思います。

 

内匠頭は、いくら小藩といえども大名ですから、

自分が軽々しい行いをすれば

赤穂藩にどれほどの災いをもたらすのか

幼い頃から厳しく教育されていたでしょうから

耐え忍んでいたと考えざるをえません。

 

その忍耐を打ち破るほどの所業を

吉良上野介から受けていたということなのでしょうか?

推測することしかできませんが、

少しでも内匠頭の気持ちに近づきたいと思います。

 

★ 浅野内匠頭の乱心説 ★

 

現代でいえば、首相官邸や国会議事堂で

国会議員が閣僚に切りつけるような事件だと言えます。

 

国会議員なら自分が罪を受ければ済むことであるが、

かりにも一国一城の主ともなれば

藩士の人生までも左右してしまいます。

 

 

おそらく、都からの勅使のご馳走役となってから

内匠頭には心休まる時はなかったのではないでしょうか。

 

役目の重圧に加えて、吉良上野介の度重なるパワハラ

何とか勅使を見送る最終日を迎えたその朝

上野介より、内匠頭は衆人環視のなかで、

聞き捨てならぬ悪口を浴びせられた。

それは、武士のプライドをひどく傷つけるものだったと。

 

証拠はありませんが、内匠頭は統合失調症だったという説もあります。

幼い頃から藩主となっていた内匠頭と責任感とプライドの高さが

原因とした説だったのかもしれません。

 

 

そうした説がでるほど、内匠頭は追いつめられていたのでしょう。

上野介に決定的な罵言で押さえていた感情が爆発し、

統合失調のような【妄想】【幻覚】【思考障害】状態に陥り

気付いたときには抜刀していた。

いわゆる頭の中が真っ白になってしまった状態です。

 

 

短気で怒りやすくはあったが、

無骨で真面目な性格だったと言われている内匠頭。

柳に風と受け流すことはできなかったのではないでしょうか。

 

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