前回は、忠臣蔵の聖地「播州赤穂義士祭」を紹介しました。
また、全国各地で「義士祭」が行われていることも紹介しています。
播州赤穂義士祭は、113回も開催され、12月の討ち入りが近づくと
毎年必ず忠臣蔵のテレビドラマや映画が放送されます。
古くから日本人に愛されてきた忠臣蔵の人気の理由は、
一体どこにあるのでしょうか。
人気の理由を考えるにあたって
まず、忠臣蔵を知らない若い方にもわかりやすいように、
時代劇ロマン忠臣蔵のあらすじを簡単に解説します。
❄ 12月14日「忠臣蔵四十七士の討ち入りのあらすじ」
忠臣蔵は江戸時代中期の1701年に起こった「赤穂事件」のことです。
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場所は、江戸城にあった松の廊下 |
![]() 今の兵庫県西部地域播州赤穂藩の藩主である 浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と 江戸幕府の家臣、 吉良上野介(きらこうずけのすけ) |
事件の内容
浅野内匠頭が、吉良上野介の現代でいうパワハラ、虐めに耐えかねて、 江戸城の儀式が行われている最中に刃で切り付け、 重症を負わしたことが発端となります。 「刃傷でござる」がドラマで繰り返されます。 |
幕府のお裁きは、
浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はお咎めなし。
喧嘩両成敗の鉄則に反したからか、 刃傷から1年9ヶ月にかけて壮大な 一大ドラマが展開することになるのです。 |
ここからがクライマックスです
幕府のお裁きを不服とする赤穂藩の家老 大石内蔵助(おおいしくらのすけ)をはじめ赤穂浪士四十七名は、 藩主の無念を晴らすべく赤穂藩お取り潰しの撤回運動を行います。 しかし、思うようにいかなかったため、 赤穂浪士たちは主君の仇討ちのため、 吉良上野介を討ち取ることを決めたのです。 |
![]() 1年9か月かけて水面下で準備をすすめ、 浅野内匠頭の命日でもあった元禄15年12月14日 未明に討ち入りを果たし、吉良上野介の首を見事打ち取ります。 |
![]() 死を覚悟した行った討ち入りとは言え、 大石内蔵助の息子主税(ちから)にいたっては、 元服したばかりの15歳という若さでした。 |
翌年2月、四つの大名家
(熊本細川家、松山松平家、三河水野家、長門毛利家の下屋敷) にお預けとなっていた全員が名誉ある切腹を命ぜられました。 この時点で赤穂浪士四十七士は忠義を貫いた義士となったのです。
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忠臣蔵の噺は一切徳川幕府の記録には残っていないそうです。
300年を経過した現在に至るまで、脈々と語り継がれ、
人形浄瑠璃や歌舞伎、テレビの時代劇の題材として数多く取り上げられている、
日本人にとっては無くてはならない物語です。
忠臣蔵がここまで人気を集める理由は一体何なのでしょうか。
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