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★津田恒美【炎のストッパー】最後の登板

 

津田恒美(以下敬称略)と晃代さんの

幸せな新婚生活も長くは続きませんでした。

最優秀救援投手のタイトルを獲得した翌年は

スランプで成績が低下したので、

来季こそはと意気込んで練習に励む津田でしたが

、病魔はキャンプから現れていました。

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秋季キャンプの頃から、休んでいても足がだるくて眠れないと

しきりに訴えていたそうです。

また、キャンプではボールを顔面に受けてしまい

あわや大事になるところでした。

 

ボールを顔面に受けた後「わしも年かのう」

と津田は苦笑していましたが、

脳腫瘍の影響が少しずつ現れてきていたのでしょう。

 

しかし病院嫌いだった津田は晃代さんがいくら薦めても、

診察に行こうとはしませんでした。

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しだいに、朝起きても「練習にいきたくない」

言い出すようになったりしながらでも、何とか開幕を迎えることができました。

脳腫瘍の影響が決定的だったのは、

開幕まもない4月14日の対巨人戦戦で、

まともに動けない体で登板し一死もとれずにノックアウトされたのです。

 

この動画が、広島東洋カープ背番号14

ピッチャー津田のプロ野球における最後の登板 

となってしまうことを誰が想像できたでしょうか。

 

★悪性脳腫瘍の宣告

病院嫌いの津田もこれはただごとではない思い、

翌日すぐに病院に向かいました。

下された診断は「悪性の脳腫瘍」

余命は半年から2年と悪夢のような宣告でした。

もちろん、もともと気の弱い津田には

知らさせることなく緊急入院することになりました。
今から、思えば津田ほどの選手ですから広島の病院ではなく、

東京の日本でも指折りの専門病院で

治療を受けた方がよかったのかもしれませんが、

本人に病状を話せていないことや今の時代ほど

セカンドオピニンに対する情報も少なかったので

やむをえないことだったかもしれません。
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検査目的で行った開頭手術が症状の悪化を招いたり、

病院での不親切な扱い(有名選手に対する配慮)に

心労が増すばかりの晃代さんでした。

 

広島で入院していた時には、

遠征が終わったあとやホームでの試合のときには

カープの選手がたくさんお見舞いにきてくれました。

 

といっても周囲に知られるわけにはいかないので

人目につくのをさけて、少人数で面会時間外に見舞いに来てくれるのでした。

病室では明るい表情をみせる見舞いに来た人たちも、

病室をから帰るときには、「あの津田が・・・・」

一様に言葉を詰まらせて肩を落として帰るのでした。

 

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