「神ってる」と言われた広島東洋カープは、

昨年25年ぶりにセ・リーグ優勝を果たしました。

 

ちょうど25年前に広島カープが

セ・リーグ優勝したときに

脳腫瘍が死因で32歳の若さで逝去した

「炎のストッパー」

呼ばれていた投手がいたのです。

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★レジェンド背番号14、ピッチャー津田

管理人は、津田投手が

甲子園に出場した山口県南陽高校時代から

注目していました。

 

津田投手は、選抜大会で甲子園に出場、

社会人野球をへて広島東洋カープに

ドラフト1位で入団しました。

 

1982年に新人王、1989年には最優秀救援投手。

その投球スタイルは闘志を剥き出しにして

最速153km/hのストレートを主体にした

速球本格派のピッチャーでした。

 

現在のプロ野球では

常識となっている本格派守護神の走りとして

大活躍していました。

 

広島東洋カープ背番号14

ピッチャー津田

の場内アナウンスは今でも管理人の

耳に残っていまっす。

 

選手生活が短かったため

津田投手は『記録より記憶に残る選手』なのです。

  • バッターがストレートを待っているのが          わかっているのにど真ん中ストレートで勝負
  • 巨人軍原監督の名勝負、津田投手の直球で         当時の原監督はヒジを骨折しています。
  • 津田投手と阪神バース選手の全球直球勝負で三振
  • 腕も折れよとばかりの剛球勝負
  • 弱気は最大の敵
  • 32歳のときに脳腫瘍が死因で逝去
  • 津田投手の闘病生活を妻晃代さんが執筆した        「最後のストライク」
  • 津田恒美メモリアルスタジアム
  • 「もう一度投げたかった」がテレビドラマ化

津田恒美の息子長男大毅さんにとっての父:津田恒美

津田恒美さんの一粒種

息子さんの「大毅さん」は、

津田選手が亡くなったときまだ4歳でした。

お父さんとの思い出は、ほとんどないかもしれません。

しかし、周囲にとっては、あの「津田の長男」。

小さい頃から野球を始めた大毅さんに、

早世した剛腕投手の夢を期待するのは当然でした。

 

同級生や先輩からも

「おまえのお父さんはスゴかったんだぞ」

といつも聞かされて育ちました。

 

自然な流れで投手になりますが、

常に『津田の息子』という言葉が

常に重くのしかかります。

 

体格も父恒美さんに匹敵するほど成長し

ポジションもピッチャーで本格派ですから

周囲が放っておくはずはありません。

 

 

九州学院高校から九州国際大学へ入学し

その後は元広島の名監督の古葉竹識氏が

監督を務める東京国際大学に編入しました。

 

古葉監督は父:恒美さんの入団時の監督でした。

 

大毅さんの野球選手としての成績は、

怪我が多かったのが原因で

4年生のときのリーグ最終戦が

初登板で終わってしまいました。

 

やはり「津田の息子」というプライドや

プレッシャーに応えられなかったという

挫折感は大きいと思います。

 

 

人生における最初の大きな壁が

父親というのも複雑なものです。

ずっと、自分の心の中で

「津田恒美、背番号14」

と戦っていたのかもしれません。

★父のために日本一周自転車旅行に旅立ち!仕事は?

大毅さんは、大学卒業後は一般企業に就職し

営業職を3年半ほど務めます。

 

その後は、他の会社に転職し

2016年には会社に辞表を提出して、

父親の偉業を後世に伝えるべく

「津田恒美記念館設立プロジェクト」

携わっています。

 

夢であった「野球選手」を断念したことや

偉大な父への劣等感は

昨年の広島カープの優勝で

ふっきれたのかもしれません。

昨年の広島カープ優勝時のインタビューで

「ようやく父の思い出と                           向き合えるきっかけをもらえました」

語っているほどですから

相当大きな重圧だったのでしょう。

 

 

 

「津田恒美記念館設立プロジェクト」とは

この度、長男大毅さんは6月20日朝、

日本一周の自転車旅行に旅立ちました。

 

恒実さんの記念館を

広島市内につくる計画が

進んでおり現在大毅さんは

 

父・恒美さんの活躍に

を讃えるべく記念館の設立のために

奔走しているということです。

 

 

プロ野球で活躍した有名選手の記念館は、

国内でも数多く設立されています。

選手名・記念館所在地
落合博満:和歌山県太地町
松井秀喜:石川県能美市
イチロー:愛知県小牧市
城島健司:長崎県佐世保市
星野仙一:岡山県倉敷市
松坂大輔:北海道稚内市

 

今回の津田恒美記念館の設立の理由を大毅さんは、

津田恒美の息子として偉大な父のことを

少しでも多くの人に知って欲しい。

そして、父のファンの人たちへの恩返しを

考えた時に記念館の設立が

最も適していると考えたそうです。

 

当初、津田恒美記念館は父親の出身地

である山口県南陽市の実家をリフォームして

設立予定だったのですが、

現在は、広島市内のマツダスタジアム近くに

設立予定を考えているとのことです。

 

マツダスタジアムの近くなら

広島カープの試合を観戦に訪れたファンが

足を延ばすには最適な場所だと思います。

 

設立時期としては、津田恒美選手の命日である

2018年7月20日を開館の目標としています。

すでに、1000万円を超える設立資金が

集まっているそうです。

 

自転車による日本一周は、

「津田恒美記念館設立プロジェクト」の

PRもかねて、ファンの方に

感謝の気持ちを伝えるためだそうです。

 

★まとめ 時空を超えて

ちょうど26年前津田投手は

津田恒美という投手がいたことを

全国のプロ野球のファンのに知って欲しいと

オールスターが行われている日に

亡くなったと「最後のストライク」で

夫人の晃代さんは書き記していました。

 

大毅さんへも「時空を超えた」父親の想いが

26年をへて伝わったのではないかと思います。

プレッシャーを受け続けた大毅さんに

天国からお父さんの

「偉い、がんばった!!」

の声が聞こえてきましたよ。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

記事が価値あるものだと思われたら、

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