最後のストライクの意味は?

「津田恒美」背番号14広島カープ炎のストッパーと

呼ばれた選手が投げた「最後のストライク」には

いったいどういう意味があるのでしょうか?

 

それは、今でも人々の記憶に鮮明に残っていると思います。

25年間、広島カープのリーグ優勝のシーズンオフ、

津田選手は球団を退団することになります。

退団の理由として、発表された病名は「水頭症」でした。

 

まさかそれから2年もたたないうちに

逝去してしまうなんて、誰も考えもしませんでした。

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⚾【炎のストッパー】津田恒美:広島カープ退団

 

当時新聞を読んで、わたしばかりでなく多くのファンが

「まだ若いからきっと完治したらきっとカムバックしてくれるはず」

と儚い夢を見ていたのではないでしょうか。

 

退団を通告された津田は、

「給料はいらないから1日でも長くカープの選手でいたかった」

と号泣したそうです。

山本浩二監督も「わしの力たらずですまん」謝罪されました。

 

妻「晃代さん」の献身的な闘病生活

その後津田選手(以下敬称略)は、

広島の病院から福岡の済生会病院に転院し、

晃代さんの献身的な代替治療をうけました。

 

自然素材のよもぎを使って足シップなどするのですが、

日常の看病と息子大毅さんの世話もしなければならないので、

当時の晃代さんはいつ寝るのかと

思わせる生活を何か月も送っていました。

 

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そして、これだけ長期入院になると看病ばかりでなく、

入院費用の負担も重くなってきます。

ナインはリーグ優勝賞金の一部や

日本シリーズの一部を津田のために。

 

数年間しか在籍していなかった

社会人野球でお世話になった協和発酵社員の方からも、

少なくない見舞金がたびたび寄せられたそうです。

多くの人から愛されていた選手であったことがわかります。

 

津田がなくなったあと、

広島ナインを始め津田を知る人は声をそろえて、

  • 「あんなにみんなに好かれた奴はいなかった」
  • 「一緒に練習しょう」
  • 「一緒に走らせてくれ」

とみんな津田といっしょに行動したがったと言われています。

 

津田恒美奇跡の回復と『最後のストライク』の意味

ひどい状態の津田を知っている人たちにとっては、

津田投手の回復まさに奇跡だったことでしょう。

 

福岡市内に家を借りて親子3人での生活が戻ってきました。

少しずつですが、スポーツジムにも通いはじめ

体力もみるみる回復していったのでした。

 

晃代さんが、この人は

「本当にもう一度マウンドにたって投げることができるのでは?」

と 考えはじめた矢先、

再び腫瘍が大きくなり始め再度入院することになってしまいました。

 

以前と同じように献身的に

代替治療を続ける晃代さんの努力もむなしく、

日に日に衰弱していく津田投手でした。

 

亡くなる直前に大親友だった「森脇選手(元オリックス監督)」

と二人だけの時間をつくった晃代さんの気遣いに涙なしではいられません。

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森脇選手が広島カカープに在籍していた頃、

晃代さんが嫉妬するほど、

津田投手と森脇選手は仲がよかったそうです。

 

津田投手が健在でいれば

右腕として間違いなくオリックスの投手コーチでした。

 

津田投手は、オールスター第一戦が行われている日に亡くなり、

訃報はまたたくまに日本全国の野球ファンに伝えられました。

 

現役時代、時々コントロールを乱すことがあった津田ですが。

最後の日は、野球ファンが最も注目する

オールスターの日を選んで去っていったのでした。

 

妻晃代さんが、最期の津田投手に語りかけた言葉は、

「あなたは、ノーコンなんかじゃなかったよ。

最期に、オールスターの日を選んで亡くなったんだから」

 

これが『最後のストライク』に込められた意味なのです。

 

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